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第10回 全て自分の責任

2014.09.23

 私が甘いことを言ったりやったりしていたせいで(コラムも書かず…)、後期に入りチームは3連敗。特に、前節は90分までリードしていながら、ロスタイムに2点を献上しての敗戦・・・。さすがにショックも大きかった。前期の成績から考えると、プロの世界なら監督は首になってもおかしくあるまい苦笑。

 要は大切なことをすっかり忘れて、少なくとも私は調子に乗っていた(心理学用語でいえばまさに「エゴ・インフレーション」の状態…)。省の弁しか出てこない。

 中島(2014)によれば、「本当の意味でのカウンセリングマインド(すべて自分が悪い)を実践していると、組織に問題など起こりようがない」という。それは、「他者を責めることがないから」である。(ここからは専門的になるが、「心理臨床の専門性は、全ての事象を“自らの課題として考える”性質を併せ持つことを要求されることにある」と言う。そして、(誤解を恐れずに言うと、と前置きした上で、)「他者の問題と認識しても、同時に自らの問題として考え続ける」、ということであると言う)。しかし、この3試合は改めて自覚を促される必要もないくらいに、私の采配や向かう姿勢に問題があった。勝負の世界は非情だと言われるが、そんなことはないのではないかと感じるようになった。むしろ多くの場合は(全てではないと思うが)、親切なくらいに、そうしたことは「結果」として教えてもらえる。今回も非常にわかりやすく、いくつかのことを教えていただいた。ありがたく受け止め、自分のこととして猛反省するしかあるまい。

 さて、いずれにしてもこれで前期の貯金はすべて使い果たした。ただ、幸いにも、まだほぼすべてのことが(優勝は無理だが)自力でどうにかなりそうな段階である。

 河合隼雄先生のご著書には、「後から考えて『よかった』と思うことは、多くの場合、マイナスの形をとって顕われてくるものである」とある。 注)齊藤ゼミのサッカー部員は皆読んだよね!!

 もう一度誠実に戦う準備を、今週はしっかりと整えていこうと思っている。

                                                                                                                                                                                                                       齊藤 茂

第9回 「勝つ」ということ

2014.06.11

今シーズン、とにかく勝っている。現時点で公式戦は8勝1敗。それも多くは昨年度まで格上の相手。指を折ってみると、すでに昨年度の1年分より勝っているな笑。一昨日(6月7日)の総理大臣杯北信越大会においても、準々決勝で新潟医療福祉大学を破り(延長戦の末、4-2)、初めて準決勝に進むことができた。医療福祉さんに勝ったのは当然(?)初めてのこと。確か3年前(現4年生が1年生の時)は、13-0だかで負けたな・・・(これはサッカーの試合だったかな苦笑)。
今回の総理大臣杯の組み合わせが決定した時点で、医療福祉さんとの準々決勝を、チームにとっては“決勝戦”と位置づけて準備をしてきた。つまり、北信越の大学サッカーでベスト4に入ること、これを明確な目標とした。

当たり前のことだが、スポーツは勝ちたい気持ちが強い方が勝つものである。試合中の要所要所で「戦い」に勝つことができた。それが唯一の勝利できた要因だが、よって勝つべくして勝ったとも言える。延長戦開始早々に先制されてからの3発で逆転勝利。気持ち(「魂」と言った方がよいか)次第でこうしたことが起こるからスポーツはおもしろい。

さてさて、スポーツの世界に限らず、「一生懸命頑張ろう!」という言葉をよく耳にする。しかし、一流選手は一生懸命頑張ってはいない(分析家氏)という。一流選手は意識しては頑張ってなどいない、それではレベルが低い、ということらしい。「(意識的に)一生懸命頑張ろうとしないと頑張れない」では、頑張り続けることは難しいのではないだろうか、と考えてみた。そしてある時、「『頑張ろう』と声を出すときの自分」に目を向けてみたら、「声でも出して頑張ろうとしないと頑張り切れない自分」の存在に気が付いた。
サッカーは前後半で90分間、走り続けねばならない。30℃をこえる日もある(人工芝の上はもっと熱い!)。明確な攻撃・守備の分断やタイムもない。そして、昨年度サッカー部を卒業した宮澤諒君の卒論によれば、Jリーグでも1対0のスコアが最も多い(宮澤,2014)という。つまり、勝負は一瞬にして決まってしまう。これがサッカーという競技の特性である。考えてみると、大変なスポーツだな・・・

 今シーズン勝っている、という事実。確かに、力のある新入生の加入もその一因であろう。しかし、改めてチームの現状を考えたとき、もっと大きな変化があるのを感じる。それは試合後、「もう走れない…」と倒れ込んで動けない選手が相当に多くなったこと。大学リーグの北陸さんとの試合後も、新潟経営さんとの試合後も、延長戦となった今回の医療福祉さんとの試合後も、ベンチは目にした光景である。少しずつ、一生懸命が当たり前(無意識的)の選手が増えてきたのかな。

こうした選手たちの誠実な取り組みにふさわしい「場」は、向こうからやってきた感じがする。ほんと自然とやってきた(当然、多くの方々のご協力のおかげであることは忘れてはならないが、こうしたご協力も含めて「場」とも思える)。「場」はやってくるもので、こちらから求めてもやってこないことも、以前分析家氏から教わった(と、私の解釈では思っている)。今シーズン、初めてチームに与えられた「場」。長野県選手権の決勝も、総理大臣杯の準決勝・決勝も、選手たちは驕ることなく誠実に、これまで通り戦うと思う。

ちなみに、ベンチにいる私の疲労度も(申し訳ないが)今シーズンはまるで違う。「見ているだけ」にも関わらず、試合が終わると辛うじて一杯やる力くらいしか、残っていないのです。

齊藤 茂

第8回コラム 「希望」という名の病気

2014.02.5

お久しぶりです。遅くなってしまいましたが、今年もよろしくお願いいたします。来年は、必ず新年のあいさつをさせていただきます苦笑。

コラムの催促を初めていただいた(感謝!)。書こう!とは思っていました(本当に)。しかしなかなか良いタイミングが(という言い訳・・・)。そこで、ちょうど本日、新チームも本格始動したことであるし、また、私の担当するゼミの最終講義もあったので、そこでさわりだけした話(2013年12月21日の読売新聞朝刊13面、鵜飼哲夫「希望」という名の病気を参照)を残させていただくことにした。

さて、今年は午年であるし?!、競馬のお話から。上述のコラムによると、9種類ある馬券の買い方のうち、最も難易度の高いのは、1-3着となる馬の着順までぴたりと当てる「3連単」で、的中率はわずか0.53%。次いで難しいのは、1-3着に入る馬の組み合わせを当てる「3連複」で、的中率はこちらもわずか2.2%らしい(日本中央競馬会(JRA)による)。いずれも当たれば万馬券になる可能性もあるが、なかなか当たらない。JRAも導入当初は、これらがどこまで売れるか、疑心暗鬼だったという。

しかし、である。年間2兆4千万円というJRAの売り上げのうち、なんと35%が最難関の「3連単」で、これに「3連複」を含めると売り上げの50%を超えるという。鵜飼氏は、「めったに当たらないのに、もしかしたら自分は当たる、いや、きっと来る、と信じて馬券を握りしめる行為を、夢とロマンに賭けるキャンブラーの栄光と悲劇というべきか、馬やジョッキーの戦績を徹底分析したうえで行う科学的英断というべきか、それとも根拠なき自信というべきか」、と。そして、「ハイリスク・ハイリターンの高額配当は夢を生むが、絶望も生む」とも。

競馬好きだった劇作家、寺山修司は、著書「競馬放浪記」に「人間が最後にかかる病気は、『希望』という名の病気である」と記している。「ああ、せめて、もう1レースあったら、きっと取り戻せたのになあ」と・・・。

本日の朝、2014年シーズンの目標を確認した。徹底してサッカーの質を追求し、同じく勝負にも徹底してこだわる。他チームから「嫌われる」チームになろう、と確認した。ここには書かないが、勝ち点など具体的な数字目標もある。我々は適度な「希望」も抱きながら、ただし、地道にいこうと思う。

2014シーズンも、ご声援をよろしくお願いいたします。

齊藤 茂

第7回コラム 「バカと弱者に用はねえ!」

2013.12.9

いきなりよろしくないタイトルで申し訳ないが、新チームに向けて、最近私がよく口にする言葉である。よろしくない表現だと自覚はしているが、今のチームには必要な言葉だと感じているし、個人的には気に入っている笑。

“バカ”と“弱者”。
今回はそれぞれの言葉について書かせていただく。

まずは“バカ”という言葉。
私の言う“バカ”は、もちろん「勉強ができない」という意味ではない(ちなみに、勉強なんて、しっかりやれば誰でもできる!できない人はしっかりやっていないだけで、決してバカではないと思ってほしい)。では、どんな者が本物の“バカ”なのか?それは今、自分がしなければならないことは何なのかのか、がまるで分かっていない、つまり、それを考えようとしない・考えられていない者、例えば、周りを見ればやるべき仕事がある・仲間が困っている等々あるのに、ただ何も考えず(もしくは今する必要のないことをして)、ただただそこに突っ立っている。そんな頭を動かせていない者を見つけると、「バカになるなよー!」と伝えている。

先日、大学野球日本一になった上武大学の谷口英規監督をゼミ生と訪ね、お話をさせていただく機会を得た。谷口監督は(“バカ”などという汚い言葉は使わず!)“感じる”という言葉で、上述と遠くないことを表現されていたと思う。谷口監督曰く「今年のチームは感じることができる選手が揃っていた」、「こちらが伝えたいことが目を見ただけで伝わる」と。代打を告げようとするとすでに準備ができている、作戦を出す前から選手にはそれが分かっている、ノーサインでもやりたいこと・やるべきことをやってくれる。だから「流れ」ができる、と。そして、チーム内では日頃からの気遣いも非常に大切にされているとのことであった。それが試合で、特に大切な場面では出てくるのだろう(緊張すると、一層普段の取り組みが無意識的に出やすい!)。強いのは頷ける。

次に“弱者”のほう。
私の高校時代の悪友が、「弱者に用はねえ!」とよく口にしていたな。

私は、“弱者”をすぐに自分に負けてしまう者・弱い自分が出てきてしまう者を指して使っている。例えば寒い日の朝、誰だって布団から出るのは辛い。私にしても、「もう少し子どもと温かい布団に・・・」と毎朝思う。それが二日酔いの日となればさらに・・・(こういう日の前夜は、すでに弱い自分が私を支配していたと思われる)。ちなみに、私は4歳の次男と寝ている。冬は暖かくて非常に気持ちが良い(逆に夏は暑いので、一緒に寝るのが辛い・・・)。
話を本題に戻して、弱い自分はいろいろなところに顔を出してくる。それがいざというときに限って出てくる。重要と思われる場面において、「弱い自分が出てしまった・・・」という反省の弁をよく耳にするではないか。「諦め」の感情もこれに近い(例えば、敗戦濃厚の場面で「もうダメだ」と試合を投げてしまう等)。たまには自分に甘くするのもいいだろう(休みやご褒美が必要なときももちろんある!)。しかし、人生には絶対!というときがある。そして、人生はそんな選択の連続だ。そのときに、自分に負けてしまう者が“弱者”だ。弱い自分が全面に出て、楽な方に、楽な方にと選択する者が“弱者”だ。そこには、「奇跡」と呼べるような体験も、「涙が出るほど、辛くて、厳しくて、嬉しい」体験も待っていないぞ(自戒!)。
上に同じく、日頃から強く意識して生活していかねば、大切な場面では必ず弱者が顔を出してくる。

“バカ”と“弱者”はよろしくない表現だとは思っているが、このチームに必要がなくなるまでは積極的に使っていこうと思う。

齊藤 茂

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第6回 「内的な準備性」

2013.11.6

連日になるが、シーズン終了にあたりいくつか書いておきたいことがあるので書かせていただこうと思う。他の原稿も多々あるのに、なぜかお金にもならないこのコラムを夕方から書いている・・・笑。ちなみに、たまっているのは有料原稿!やばいな、明日締め切りの○○館書店の・・・。ちょっと待ってくれるかな。
閑話休題、今回は、最終節の出来事(誠にお恥ずかしい話ではあるが事実なので・・・)。

公式戦当日は2時間前に会場入り、ビデオ鑑賞、しばらく各自フラフラしてロッカールームでスタメン発表(最終節はバスの中)、70分前に代表者会議、その後、軽いミーティングをして、アップ、7分前のロッカーアウトと進んでいくのだが、代表者会議あたりで「ガヤガヤ、ガヤガヤ」。

「先生、ユニフォームの色を変えられませんか?」
「何で?もうみんなで決めたじゃん。代表者会議も始まってるし、無理じゃない?」
「実は、3番のユニフォームが(ありません)」
「え・・・。何でそうなるの?」
「僕の確認が・・・」

実は出発前、何となく不安だったので「ユニフォーム、オーケーね?」と確認をしていた。係の学生は「大丈夫でーす」と。「でーす」を信用したのがいけなかったか・・・。

「確認したよな?」
「はい・・・」
「どうするか考えろ!(怒爆発!!!)」

最近、こういう事態になっても妙に落ち着いている自分がいる。どうなるかを楽しむというか・・・。それはさておき。

ちなみに、忘れたのはスタメンで出場予定の選手のものだった(しかもセンターバックの選手。さらに悪いことには、もう1人のセンターバックは累積警告で出場停止となっておりベンチ外だった・・・)

時間は過ぎていき、7分前のロッカーアウトになってもユニフォームは準備が整わず、10人で試合前の整列から挨拶(ルール的には、試合直後の交替 or 10名のままキックオフ)。ユニフォームが間に合うまで「10人での戦い」を覚悟してポジションを動かしていたところに、全速力で出場停止選手がユニフォーム(学生のアシックスの青いシューズケース(ユニフォームと同色)を切り裂いて、マネージャーが張り番にしてくれた!)を届けにやってきて、何とか事なき?を得たが、今回のことから「準備」の重要性は本人はもちろん、スタッフも含めチーム全員で学び直したいなと。

 「外的な好機は、内的な準備によって現実化され転機となる」(都筑、2011)

例えば、出会いによって人は変わる可能性がある。だが、都筑(2011)によれば、「ただ単純に何かに出会えば、それが転機となるということでもない。それを迎える側に、それを受け入れるだけの準備性が整っている必要があるのだ。そうした準備性がないと、出会いがあっても転機とはならない」という。そして、「内的な準備性」があれば、「偶然の出来事を自らの人生に引き入れる」ことができると。

逆に、「内的な準備性」がなければ、すべてのことはただの偶然として、何も意味のないものとして体験されるだろう(すべての出来事は偶然であっても、なぜ起きたのか、どんな意味があるのかと考えること自体には意味はあると思うが、そう考える習慣も含めて準備か)。

チャンスの神様は「前髪」しかないとよく言うし。

しかし、今回はそれでも動じず、勝てる力はつけたのかと少々感心もしてみた。勝って終わったので、まあ現段階では(勉強になったということで)「よし!」としておこう。

 齊藤 茂

準備性

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