コラム
第4回 「選手は育つ!」
気づくと、コラムはほぼ自分への戒めとなっている。
分析家の先生に言われたことがある。
「グラウンドや試合会場などに掲げられている大弾幕(例えば、“誠実”や“一生懸命”などをよく目にするが)には、そのチームの指導者ができていないことが書かれていることが多い」と。
確かに。当たり前にできていることなど、あえて掲げる必要はなかろう。それは、指導者の人生の課題とでも言えるものか。
本コラムもそんな類のものだと考えていただければ結構である。
さて、今回は欧州サッカー連盟(UEFA)のアンディ・ロクスブルク技術委員長の有名な言葉から。
「指導者は選手の未来に触れている」
毎日、学生(選手)と関わる中で、私の発した言葉が、その人の人生を左右することすらある。そう少しは自覚するようになってから、喉元まで出かかって、飲み込んだ言葉がいくつもある。家庭ではなかなかうまくコントロールできていないが・・・
ガルウェイ曰く、「熱心すぎる(解釈:熱心に指導をしすぎる)コーチは選手をダメにする」。やるべきこと、そしてやってはいけないことの何箇条を細かく指摘し、さも熱心に指導した感覚に陥って満足感を覚える。まさに、過ぎたるは猶及ばざるが如し、である。
つまり、未来に触れているからと言って、「オレが育てる!」などと力むのも違う。
指導者が選手を“育てる”、のではなく、選手は“育つ”のだと思う。
しかし、“勝手に育つ”という訳でもない。
前述のアンディ・ロクスブルク氏曰く、「選手は勝手には育たない。タレントが偶然育ってくるのを待つのもいいだろう。しかしそれでは永遠に待ちつづけることになるかもしれない」。
料理は“塩加減”で決まると言われるが、育成における“塩加減”(手塩にかけるという言葉もあるが)も非常に難しい。
ではどう関わればよいのか(そもそも、良い悪いでもないかもしれないが・・・)。
まずは共に”在る”。焦らず”待つ”、温かく”見守る”。そして、時には”自分を賭ける”、”責任をとる”、“覚悟を持つ”。
名トレーナーのエディ・タウンゼントの口癖は、「ボクはハートのラブで教える」であったと言うし、大西鉄之祐は教育を、「そこにいる人間を愛する力」と書いている。
このあたりが私の仕事だろうか。
思いついたままに書き出してみたが、またしばらくしたら考えてみようと思う。
併せて、森信三氏が残した「教育とは流水に文字を書くように、はかない業である。だが、それを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」という言葉も忘れないようにしよう。
齊藤 茂